大島とは
国に13施設ある国立ハンセン病療養所のうち唯一の
離島施設。自然豊かなこの島にある、過去の深い歴史とは…。
大島の歴史
大島は、白砂青松の美しい、瀬戸内海に浮かぶ島です。もともとは2つの島でしたが、砂州でつながって現在の形になりました。古くから人が住んでいて、2000年近く前の土器が島内から発掘されています。1100年代には源平合戦の「屋島の戦い」に敗れた平家の人々の墓が大島に作られ、そこに植えられた松は800年以上たった現在でも残っています。
大島青松園とは
国に13施設ある国立ハンセン病療養所の一つで、唯一の離島施設です。島全体が療養所である点が最大の特徴です。
現在は、ハンセン病問題に関する正しい理解を深めるための人権学習や入所者との交流のために大島を訪れる人が増加しています。また、2010年からは瀬戸内国際芸術祭の会場になったり、2019年には一般定期航路化するなど、ますます開かれた島となりました。
大島青松園ができるまで
1907年に日本でハンセン病患者を療養所に入所させる法律ができました。1909年、全国5カ所で公立療養所が開設し、中四国8県の連合立で第四区療養所として大島に開設されました。翌年、大島療養所と改名し、1941年に国立らい療養所大島青松園、1946年国立療養所大島青松園となり、現在に至ります。
施設紹介
墓標の松
1185年、屋島の戦いに敗れた平氏は大島に墓を作り、松を植えた。これらの松が墓標の松として今も残っている。一番大きい松の下からは人骨や刀などの武器が掘り出された。昔は今よりも多くの松があった。
心月園
第3代園長の野島泰治の記念碑。その碑文から「心月園」と呼ばれ親しまれている。夏にはここをメイン会場として大島「夏祭り」が開催され、島内外の多くの人で賑わっている。大輪の花火も見どころ。
大島会館
旧大島会館が老朽化し、平成18年3月に完成した。島外からの訪問者との交流を深め、ハンセン病に対する啓発・理解を深める活動の場や入所者のイベント会場、喫茶室などとして有効活用されている。
解剖台
療養所に入るとき、『死後、死体を解剖することを承諾する書類』への署名が求められた。解剖室解体時に西海岸に捨てられたが、2010年の瀬戸芸が始まる前に発見され、入所者との相談の後展示された。
社会交流会館
2019年4月にオープン。歴史資料の展示室や図書室がある。61年前の大島の様子を150分の1のサイズで再現したジオラマがある。『カフェ・シヨル』は施設全体が入所者と来島者の憩いの場となっている。
防空壕
第二次世界大戦末期に入所者の方が自分たちの手で堀った。高松空襲の際には多くの人がここに避難した。防空壕は全部で7カ所あったが、現在残っているのは2つだけである。
納骨堂
1936年初代の納骨堂が完成し、2003年に現在の納骨堂に建て替えられた。1443名(2019.4.1現在)のお骨が眠っている。療養所といいながらも園内で一生を終えることが前提での入所であった。
宗教地区
キリスト教霊交会の教会堂などの建造物が並ぶ一帯は宗教地区と呼ばれる。入所者は主に入所後、それぞれが宗教に属し、心のよりどころとしてきた。かつては金光教会堂や仏立宗講堂もあった。
大島神社
もともと大島の北の山の中腹にあった大島神社は,2017年に宗教地区の金光教会堂跡地に遷座され、新社殿が造営された。
「南無佛」
1909年の開所から1936年に納骨堂が建てられるまではこの碑にお骨が納められた。その27年間に亡くなった674名のお骨が納められている。
「鎮魂の碑」
園内での結婚は許されても、子供を作ることが許されなかった。結婚した男性は断種手術が行われ、妊娠した女性は人工中絶が強制された。この碑は生まれてくることのできなかった胎児のための慰霊碑。
「小林博士の碑」
大島療養所二代目所長の小林和三郎氏(1911~1933年)の慰霊碑。医師として初めて園長を務め、島で生涯を閉じた。初代所長として慕う入所者も多かった。
石仏・ミニ八十八カ所
四国遍路の旅の途中で大島に収容された入所者も多かった。『大島にいながら四国八十八カ所巡りができるように』と大正初期に香川県三豊市にある本山寺の住職らによって寄贈された。
風の舞
平成4年に約1000人のボランティアによって作られた。『せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように』という願いが込められている。亡くなった方の残骨が納められている。
火葬場
大島で亡くなった人の多くはふるさとへ帰ることが叶わず、この火葬場で火葬され、納骨堂に納められた。全国のハンセン病療養所で園内の火葬場が現役で稼働しているのはここ大島青松園のみである。
ProjectOが選ぶ大島の絶景BEST4!
入所者の方のための様々な設備
盲導鈴
島内の分かれ道や建物の前などにスピーカーが設置され、「ふるさと」や「乙女の祈り」が流れている。入所者の移動時の音の目印になっている。24時間途切れない。
盲導線
この白い線は、一見車道のセンターラインのように見えるが、そうではなく視力の弱い入所者の方が歩行できる道だと分かるように引かれたもの。
盲導柵
目の不自由な人が杖で柵を確認しながら歩くための柵。昔は杖を持って一人で歩く入所者の姿があったそうだが、今はほとんど見ない。
引用元
・「大島青松園案内」国立療養所大島青松園制作
・「大島マップ」高松市制作